皆さん、おはようございます。
愛を育んで費やした日々、休む事もしらず
生きる答えは何故
ねぇ、教えて、ささやかな人生の願いは一つでも叶ったの?
誰にも見せぬように一人零していた あなたの涙を今でも覚えてる。
Song by 尾崎豊(Mama, sey good-bye)
玉子です。
昨日の13時02分、母が永眠致しました。
享年90歳
今年の9月17日に突然チカラが入らないと言い出して入院しました。
病気については記載しませんが、急性的な感じであれよあれよ。って感じで約2ヶ月の入院の末、空へ還りました。
3つ病院を転院して、最後は緩和病棟のある地元の病院へ転院。
もう年齢が年齢ですので、兄、姉、自分のきょうだいで話し合って、とにかく苦しくないように、しんどくないように、静かに眠るように人生を終える。これをゴールとして一番しんどくない方法をとりました。
最後の病院は面会制限を解いて頂いて、沢山の方がお見舞いにお見えになりました。
皆んなに愛される母ならではと思います。
お世話になった皆様には、その節はありがとうございました。m(*_ _)m
お見舞いがてら、ちょこちょこ福岡から長崎の病院へ帰っておりましたが、一昨日の夜にきょうだいグループLINEに呼吸が変わったと連絡を受け、大丈夫だよ。とはあったけど、夜中急遽帰りました。
安定して寝息を立ててはいしてましたが、姉貴は病室に泊まり、俺は病院の駐車場の自分の車で寝ました。(寒くてほとんど寝れんかったけど)
翌日の昨日AM11時過ぎに急変して、姉貴と俺は手を握って、母ちゃん母ちゃんと声をかけて、、苦しむ事なく、ホント眠るように静かに昇って行きました。
母ちゃん、今までありがとう。
良く頑張りました。
やっと父ちゃんに会えるね。
お父さん、早く迎えにきて〜。とか
お父さん、まだ迎えにこんで〜。
とか、その時その時で言う事は違ったけど、、、
父ちゃんおるけん、子供らは安心だよ。
亡くなる2、3日前から誰か判別出来なくなっていて、最後に交わした言葉は、病院を離れる時の「また来るけんね」に母ちゃんから「大丈夫とや?」
自分は息も絶え絶えなのに息子の心配してる。
偉大なる母親の愛情を感じました。
親が亡くなる時は、子供の人生の中で、子供に必要なタイミングで亡くなるという話しを聞いた事がある。
母ちゃんが俺の人生で何を気づかせたかったのだろう?
もっと頑張れなのか、、
家族を大切にしなさいなのか、、
生命を考え、これからの人生を考える事なのか、、
おいおい気がつくかな?
お疲れ様でした。
ゆっくり父ちゃんと休んでくれ。
俺の事は心配いらないよ。
ちゃんとやってゆくから。
ありがとう。
では、また いつか。