KATANA道のblog

ハプニングとアクシデントのスリリングな毎日を自虐ネタでつづる

ファンケルのえんきん

いつもありがとう。

アルバオート

こんばんは。

長いので読まれる方は心してね。

このブログは8/24に書いたモノです。

 

 

 

信じ難い話かも知れませんが実話です。

 

 

 

昨日の8/23に家族以外で、一番大切で、一番の理解者である方が永眠なさいました。

73歳の女性の方です。

 

 

 

誰よりも僕の事を分かってくれてる方でした。

もしかしたら、僕より僕の事を分かってるかも、、

僕の人生において多大なる影響を与えてくれた方で、人として本当に素晴らしい方でした。

 

 

 

信じない方も居るでしょうが本当の話しを少し、、

 

 

 

この方は未来の見える特別な方で、出会いは16年前の飛び込みの営業をしてる時になります。

 

 

 

当時、個人宅へ飛び込み営業していた時のお話しですが、、

名前の画数による姓名判断の出来た僕は、玄関の表札の名前の画数でお父さんの性格を当てて、そこのお母さんと仲良くなって営業に繋げていました。(笑)

 

 

 

その日もいつものように飛び込み先で、、、

 

 

玉子「お母さん、お父さんはこんな人じゃなぁい?」

いつもなら、なんでわかると?、、って話しになる。

 

 

お母さん「ならあんたの事を教えてやろうか?」

 

 

玉子「は?」

 

 

お母さん「子供は2人やろ?上はお兄ちゃん、下は女の子」

 

 

玉子「当たりです。」←ちょっとビックリ

 

 

お母さん「上のお兄ちゃんは、メガネ掛けて、ブレザー着て、自転車乗ってるやろ?」

 

 

玉子「いえ、ハズレです!(笑)」←ハズレた事が何故か嬉しかったので笑った。俺も態度が悪かった。

当時、息子は小学生でメガネはかけていなかった。

 

 

お母さんはその態度にムキになって、

「あんたね。そんな笑いよるばってんが、原因不明の病気になって、病院ば転院するとばい。足も腫れ上がって車椅子に乗らないかんくなるよ。そして歩けんようになるけんね。」と

 

 

 

玉子「怖いんですけど、、」←初めて会った人にドギツイ事を言われて涙目になる。

 

 

 

それから少し世間話をして、何も売る事も出来ず、その家を後にしました。

 

 

 

その一年後には営業の仕事を辞めて、ガソリンスタンドで働いていました。

 

 

 

そして何事もないまま時は過ぎて、、

出会いから7年後、僕は原因不明の病気で両足が腫れ上がり歩けなくなりました。

 

 

 

初めは整形外科に行きましたが、40度の高熱もあり、即入院。

しかし、病院から「これは整形外科ではなく内科の受診が必要だね。地元の大学病院に紹介状をかくからと、、」転院になりました。、

 

 

 

大学病院でありとあらゆる検査をしましたが、原因は分からず、高熱と両足の腫れ、足の発疹と痛みで車椅子を余儀なくされました。

炎症反応は通常の10倍だったかな、、

手を少しぶつけただけで、みるみる腫れ上がるような、本当に恐怖でした。

 

 

 

 

「なんで俺が、、こんな事に、、」

悪い事もせず一生懸命生きてるのに、、

途方に暮れていました。

 

 

 

原因が分かるなら対策もできるけど原因不明とは、どうする事も出来ません。

そんな入院中のベットで思い出したのです。

7年前の飛び込み営業先のお母さんの言葉を、、、

 

 

はっ!

 

 

「そういえば、あのお母さんから言われていた。」

そしてもう一つの事実

ハズレと笑っていた長男の話もです。

入院してる時、長男は既に高校生になり、メガネをかけ、ブレザーの学校に自転車で通っていました。

 

 

 

つまり、7年後の今、あの時の話が全て当たっていました。

 

 

 

「もっとちゃんと聞いとくんだった」

と思ったのを覚えています。

 

 

 

 

原因不明は分からないまま入院を続け、いつしか炎症反応もおさまり、膝とくるぶしの腫れも引き、リハビリしながら歩けるようになりました。

 

 

 

退院後、仕事に復帰していつもの生活に戻りましたが、日々の生活の中で色々あり「あの人に会いたい。会って話しが聞きたい」

と思うようになって行きました。

 

 

 

しかし、家も名前も覚えていない。

覚えていたのは、お母さんの顔と八女の矢部川という川のほとりの何処か?だけでした。

 

 

 

ガチで3年間探しましたよ。(笑)←しつこいね。

いつも矢部川の周りを車でぐるぐるぐるぐる。

手がかりもなく記憶が昔過ぎて見つかるハズもありません。

 

 

 

 

出会ってから10年が経ちました。(探し出してから3年)

色々あって9年務めた会社に辞表を出し、その日は休みだったので、そのまま八女の矢部川へ行きました。

 

 

 

 

「ばあちゃん、あの人に会わせてくれ!たのむ!」

天に手を合わせ死んだばあちゃんに頼みました。←ばあちゃんっ子だったのでww

 

 

 

 

いつものように矢部川の周りをぐるぐるぐるぐる。

分かるハズもなく諦めかけていました。

何となくナビを見ると、小学校がありました。

そこで、今まで思い出さなかった事を思い出すんです。

 

 

 

あっ!そういえば、お母さんの家の近くに体育館があったっけ?

とりあえず急いで小学校へ向かいました。

すると見覚えのある体育館が、、、

 

 

 

そうだ!

この体育館だ!

この近くの何処かだ!

 

 

 

記憶を呼び起こします。

あの日は、ここに車を停めて、ここからこの道を通って、、、ブツブツ言いながら歩きます。

 

 

ココかな?

 

 

当時からすると家は改築されて、その当時の雰囲気はありませんでした。

なんか違うけど、、、ココのような気がするなぁ、、、

 

 

 

勇気を振り絞って玄関へ、、

カメラ付きのインターホンがありました。

でも背に腹はかえられないので押します。

 

 

 

ピンポーン🎶

 

 

 

インターホン「はい、どちら様でしょうか?」

男性の声でした。←男かぁ、、😫

 

 

 

玉子「福岡の○○と申します。なんて説明していいか分からずしどろもどろ、、、

すみません。説明出来ないので出て来て貰えませんか?」←必死です。

 

 

 

玄関の扉が開き、出て来たお父さんの後ろにあのお母さんがいました。

「あ〜、、おった〜!」

 

 

 

 

お母さん「あんた誰ね?」ちゃんちゃん(笑)

↑10年前に一度しか会ってないから、、

 

 

 

 

それから病気が当たってた事を伝え、辞表出した事、これから独立する事、聞きたい事を玄関先で話を聞いて頂きました。

その時は、今は辞めては行けない事。その他、色々とアドバイスを受けました。

 

 

 

帰り際にお金を渡そうとしましたが、一切お金は受け取らない。というスタンスだと言われました。

僕はこの人は本物だと思いました。

 

 

 

ひょっこり話しをした人で、探して来たのは僕だけだと言われてました。

 

 

 

その日から一年後にまた会いに行きました。

その時は自宅に招き入れてくださって、話しを聞いて頂きました。その時からLINEでつながり、玉に連絡を取り合うようになりました。

 

 

 

僕が苦しい時も辛い時も、または悲しい時も、話しを聞いてくれて、支えて下さいました。

時には叱ってもらったり、、

 

 

 

未来の事は直接的には教えてはくれず、どうするのか?どうしたいのか?考えさせるようなアドバイスばかりでした。←恐らく未来が変わったりするから?と勝手に解釈

 

 

 

そして体調のすぐれない中、何百人もの人にアドバイスされて、助けられた人も多かったと聞いています。

本当に人として尊敬できる方でした。

 

 

 

まさに僕の心の支えでした。

僕よりも僕の事をわかってらっしゃる。

 

 

今やっている仕事は、このお母さんから頂いたバトンでした。当時は、人生において一番やりたくない仕事だったけど、「とても困難な仕事だけど、貴方ならきっとやれるから頑張ってみなさい。人を助ける仕事だから、、ここは凄く大きく成長するから頑張りなさい。」と

 

 

 

この人に出会わなければ絶対に選択しない道でした。

でもこの人を信じてみようと思いました。

飛び込んだ世界は正解でした

このとてつもないチャンスを自分の手で手繰り寄せたと感じました。

 

 

 

そして今はまだ成功していなし、一生懸命頑張っています。

お陰様ですごいスピードで自己成長しています。

 

 

 

受け取ったバトン俺はやり抜きます。

約束したから、、

麦わら海賊団のように、目的は違えど魂の絆で繋がった仲間と絶対に人生変える。

そんな仲間を探しながらやり切ってやる。

 

 

 

そんなお母さんも、難病が再発し入院なさっていました。

少し前に娘さんから、お母さんに会っておきませんか?って言って頂いて、お見舞いに行ってきました。

 

 

お母さんの耳元で

「いつもありがとう」

そう伝えました。

 

 

 

お見舞いから数週間たった昨日の訃報でした。

 

 

 

頭が真っ白になり、現実感もなく、、、

突然、号泣したり、ソワソワしたり、何をしてるか分からない、フワフワする。そしてまた号泣、、

そんな昨日でした。

 

 

 

夢に出て来て欲しかったから、早く寝たけど、出て来てくれなかった。

今日、山の上のお寺に行って、空に向かって頭の中で話し掛けたけど、声は聞こえなかった。

 

 

 

明日はお通夜に参列させて頂きます。

せめてもの救いだったのは、お見舞いの時に「いつもありがとう」が伝えれた事。

凄くキツそうだったけど、伝わったと思ってる。

 

 

 

○○○さん、本当にありがとうございました。

あなたのお陰で、強く生きる事が出来ました。

本当に本当に感謝しています。

「心配しなくていいよ。自分の足で強く生きていくからね。」

 

 

 

あなたの存在は僕の人生において、本当に大きな存在でした。出来る事なら、また笑って話がしたかったです。

 

 

 

でもきつかったですね。

もう大丈夫ですよ。

ゆっくり休まれて下さい。

 

 

 

 

 

心からご冥福をお祈り致します。

 

 

合唱。

 

 

いま、お通夜から帰ってきました。

明日はお葬式に参列します。